はじめての海外文学

頭がふっとぶほどおもしろい海外文学のお話や、イベント、本屋さんのお話など本にまつわることを中心に書いていきます

ブログ、リニューアルいたします

『はじめての海外文学』

すみませんいきなり、タイトルからこれに変えさせていただきます。

 

もう最初からこうすればよかったんだけれども・・・。

 

ちょっとこのタイトルは大げさかなぁというのと、そういうものに限らず面白かった本はすべて紹介するというものにしたかったので、全然関係のないタイトルをつけていた次第です。

 

でもやっぱり、自分が伝えたいことって何だろうとじっくり考えるなかで、わたしはどうしても海外文学の面白さをもっともっといろんな人たちに知ってほしいと思っていることに気がついたんですよね。三度のメシより海外文学!!・・・なわけないけど、ごはんはだいじだけどね。

でもこのまま出版点数がただただ減っていくのを、指をくわえて見ていることなんてできないなと。

 

だから、もっと伝えるために、もっといろんな人に見てもらえるように、わかりやすく凝縮してみようと思いました。

 

本当は、海外文学初心者ってなに??って感じなんですよ。

別に初心者とか通とかいらないし、好きなものを好きなように読んだらよくない?って。もう本当にそう思ってるし、それをしている方はもうどうかそのままで突き進んでもらいたい。でも現実は厳しくてそういう方はどうしてもごく少数派。だからやっぱり伝えていかないとなくなってしまうんですよね。好きなものをなくしたくない。ただそれだけなんですけど、言葉にするとなんかおおげさになってしまうのよなぁ・・・あぁわたし貝になりたい(うろおぼえ、、、)。

 

内容については具体的に海外文学苦手な方や、あまりよく知らなくて何を読んでいいのかわからないという方に向けて、わたしもまだまだ知らないことが多い世界ですので一緒におもしろいもの探しませんか!という方向をベースに、単純に読んで面白かった本や、よさそうなイベント、本屋さんなどをご紹介できたらと思います(あんまり変わってないですね、すいません)。

 

そしてこれは試運転というか試しになんですが、本については、初心者向け度という星をつけてみたいと思います。

 

★★★★★ MAX5つは超初心者向けです。

★★★★☆ 4つ 初心者におすすめです。

★★★☆☆ 3つ はまる人にははまるはず。

★★☆☆☆ 2つ 好き嫌いがわかれるかも。

★☆☆☆☆ 1つ 少し海外文学に慣れてからおすすめします。

 

本来わたし星をつけるのは好きではなくて、なぜかというとそれは本当に個人的なたったひとつの趣向であるのに、なぜか絶対的な作品の評価に見えてしまうことがあるからで。

でも今回つけてみるのは作品としての評価ではなく、ただの指標として(もちろんこれもわたしの個人的な一意見ですが・・・)どのくらい初心者向けかという程度の星になります。これに関してはまぁお遊び程度の目印くらいに受け取っていただければと思います。

 

引き続きリンクは基本的に出版社の紹介ページにとぶようになっております。

なるべくならご自身のひいきにしている本屋さんで買っていただきたいからです。

 

わたし自身がいろいろ勉強中なのに加え、絶賛子育て中なので、ブログの更新は本当に気ままで、不定期になりますが、もしよろしければ気長におつきあいいただければ幸いです(そしておとなりのあんまり海外ものを読まなそうなおともだちに広めていただければこれ本当に幸いです)。

 

 

チェルノブイリ原発事故より30年、いつになったらこの祈りは届くのか『チェルノブイリの祈りー未来の物語』

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すっかりご無沙汰しております。
ちょっと子どもを産んでおりました。
 
産む前は、産後しばらくは書けないだろうけど、まぁ3ヶ月もすれば少しずつは復活できるかなぁ、、、なんて甘い考えでいたのですが、、、、うん無理。
 
今もまだまだ文章を書く余裕はほんとになくて、なかなかパソコンの前に座れもしない状態なのですが、それでも今回なんとか更新したいと思ったのは、やっぱりそう思わせられた一冊の本に出会ったからです。
 
それがこちら
『チェルノブイリの祈り』スベトラーナ・アレクシエービッチ 岩波現代文庫
 
そう、先日ノーベル文学賞に輝いたのが記憶に新しい、ベラルーシの作家さんです。
 
正直、ベラルーシ?あれ?それどこだっけ?なんかあのへんだよなぁ、、、くらいの認識しかなかったのですが、あのチェルノブイリ事故の汚染地と聞いて再度あれ?となりました。
チェルノブイリってベラルーシだったんだっけ?なんかウクライナ?ロシア??その辺だったようなー。
あいやー、、、無知でほんとすいません。
 
調べてみると確かにチェルノブイリ原発があるのはウクライナ(当時ソビエト連邦)なのですが、ちょうどベラルーシ(当時白ロシア)との国境付近に位置しているのですね。そして、あの事故の後汚染物質がより多く流れていったのは、なんとベラルーシなんだそうです。ウィキペディアによると周囲10000㎢がかなり高濃度のセシウムに汚染されたそうですが、そのうち7000㎢がベラルーシだったと書いてありました。
 
ほとんどだ。
 
まー何にも知らないもんだな。日本でも福島の原発事故があって、原子力発電を持つということがどういうことなのか突きつけられたばかりだっていうのに、自分のこの意識の低さに愕然としました。ほんと、はずかしいわーーー。
 
さてこの本ですが、とはいえそのチェルノブイリ原発事故の概要や、当時から今でも隠されている真実を探るようなものではまったくありません。
 
簡単に言ってしまうと、当時その場所にいた人々、今現在(正確には取材当時なので20年も前ですが)その場所に住んでいる人々、消防士や原発作業員として働いて明らかに放射能の影響で亡くなった人たちの妻、後遺症に苦しむ子供たち、そんな実際にその場で生きて呼吸している人たちの声を淡々と拾い、淡々と記しているだけの本です。
 
劇的な感情に流され同じ言葉を繰り返すだけの人。すべてを諦めた後の静かで冷たい目を感じる言葉。子供たちの無邪気だからこそ、すべての大人を黙らせる力を持った痛烈な一言。そんな言葉たちを拾い集め、ただ本当に淡々と並べただけ。
 
言ってみれば本当にシンプルなそれだけの本なのに、読み終えてしばらくはことばがでなかった。のどがカラカラに乾いて息ができないような気分になりました。
 
ここにあるのは、どんな検証文献よりもずっと圧倒的な“真実“だった。
そしてさらに、誤解を恐れずに言うのなら、まぎれもない“文学”でもありました。
 
これが人間。
そこで実際に呼吸して生きているとはこういうことなのだ。
それはどんな報告とも全然違う。どれだけ部外者が詳細に調査をして、長い期間をかけて調べ上げた調書だとしても、これとは本質がまったく違うものだろうと感じられました。
 
今現在、原発事故といえば“フクシマ”というカタカナ4文字が出てきてしまうようになってしまいましたが、ほんの5年前までそれは“チェルノブイリ”でした。
 
チェルノブイリという土地はそういった意味でまったく違う場所になってしまった。
それもほとんどが人災によってです。
 
政府や発電所の責任者たちは事故が前例のないものだったために、やーもしかして意外と大丈夫なんじゃね?うんそうだよ放射能っていったって目に見えないしそんなものが人体にどうやって影響をおよぼすのかねきっと大丈夫だよ大げさだなぁパニックが1番こわいのだよ落ち着きたまえきみもう火災は鎮火したんだから(想像)って感じで発表しなかった。それゆえに地元の人たちや、消火にあたった消防士、発電所の職員たちは逃げずに対応して被爆し、苦しみ抜いて死んでゆきました。
 
チェルノブイリは、かつては緑豊かな非常に美しい土地だったといいます。
 
それがもうチェルノブイリということばからは原発事故のことしか浮かんでこないようになってしまった。
 
福島も悲しいことにまったく同じ。
フクシマと書けばそれはあの豊かな自然のある食べ物の美味しい土地ではなく、原発事故のことを指すことばになってしまいました。
 
それが実際にそこに住む人々にどのような影を落とすのか。
わたしたちは日本人だからというだけではなく、ただ人として今一度考えてみなければならないと思いました。
 
幸い、フクシマ原発事故はチェルノブイリほど人災が酷くはなかった。政府の対応もあれと比べれば相当早かったし、食い止められたことも多いと思います。でもまだまだ5年。これから先厳しい戦いが続くでしょう。
 
4月でそのチェルノブイリ原発事故から30年がたちます。
わたしは今、その地に住んでいた人たちの声が聞こえるこの本に出会えてよかった。遅すぎるぐらいだけど、それでも出会わないよりは100万倍マシ。本当に強くそう思います。
 
文学をはじめ、芸術は生きるのに必要ないものと思われがちですが、そうではない。そういうものではそもそもなく、文学とは、芸術とは、もう血であり肉であり、生きて呼吸している人たちの生命の力そのものだと確信を持って思えたから。
 
スベトラーナ・アレクシエービッチ。ノーベル文学賞受賞により、もっともっと広く読まれてほしい作家だと思います。賞を取ったときに群像社で出版されていた作品の版権が切れていて、増刷されなかったというニュースを本当に悲しく見ていたのですが、

www.huffingtonpost.jp

やはりさすがです。我らが岩波書店がきっちり引き受けてくれました。『戦争は女の顔をしていない』『ボタン穴から見た戦争ー白ロシアの子供たちの証言』2作が岩波現代文庫より発売になるそうです。(2/16ごろ発売)
 
これを機にたくさんの人の目に止まることを心より願います。

数学少女??に疑問あり!だけどつい好きになっちゃう『国を救った数学少女』ヨナス・ヨナソン

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『国を救った数学少女』ヨナス・ヨナソン 西村書店http://www.nishimurashoten.co.jp/pub/details/403_724.html

前作『窓から逃げた100歳老人』の大ヒットが記憶に新しい、スウェーデンのルーキー、ヨナス・ヨナソン氏の新作が早くも翻訳されるとのことで、そりゃあもう読まないわけにいかないでしょう!

今度の主人公は老人じゃなく、少女。それも"数学少女"というなんだか心ときめくワード。
普段はじいさん派のわたしですが、十分わくわくしましたよ。しましたけれども………!

単刀直入に申しまして、その部分はちょっとだけ期待ハズレ。数学少女と言うわりには、理路整然と問題を解決していくような場面は少なく、あまり計算されておらず、むしろ運だけで乗り切っていくようなところがあり、え、え、えーーー???となりました。ちょっぴり。

だけど、それを除けば前作同様、相変わらずのハチャメチャっぷりは健在で、『〜100歳老人〜』を読んだ方はわかると思うけど、まあほんとに次から次へとよくもそんなこと思いつくもんだ……という展開で、ジェットコースターのよう。舞台も南アフリカからスウェーデンと全く違う場所に移り、今回もムチャクチャに動かされる世界の実在する要人たち(胡錦濤なんかもでてくる)。なんたって1番すごいのはいち少女が一国を滅せるほどの核爆弾を家の倉庫に隠すという展開。唖然でしょう。

でもこれが、ヨナソン氏の作品の魅力。
それこそありえない展開は小説の世界にはあふれてるけど、誰も思いつかない展開っていうのはなかなかお目にかかれない。そういうのをいとも簡単に次から次へと出してくるのがこの著者の特技??じゃないでしょうか。
そして、もうひとつ忘れちゃならないのが脇役の存在。今作は前作にも増して、脇役が非常に魅力的。
南アフリカで掃除婦をやっていたときに出会う中国の三姉妹は、度胸があるってもんじゃないくらいぶっ飛んでるし、スウェーデンで出会う双子の兄弟の兄の方とガールフレンド。こいつらがまたほんとにバカなの。最終的にはおバカとしか呼ばれなくなるこのふたりだけど、最後のガールフレンドの奇行は、痛快すぎて本当に爆笑。つっこみどころ満載なんだよ、ほんとにもう。

というわけで、結局またヨナソン氏の奇術にまきこまれ、読み終わるころには船酔いのようなクラクラ感で酩酊状態だったのでした。

ちょっとスカッとしたい…とか、ここんことろ楽しいことないなーーってひと、これを読まない手はないでしょう。必ずやあなたを、ぐるんぐるん振り回して、前後不覚にし、日常のメンドクサイことが一瞬にしてどうでもよくなるような、そんな読後をもたらしてくれます(ほめてる)。お試しあれ!






『歩道橋の魔術師』呉明益

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誰にでもひとつやふたつ、思い出すだけでたちどころに色やにおいや、湿度まで立ち上がってくるような、深く心に根付いている場所ってあると思う。
それは、生まれた家かもしれないし、小学校の校庭かもしれない。おばあちゃんの家かもしれないし、昔通った映画館かもしれない。
 
この本を読んでいたときに、自分にとってのそんな場所を思い出して、ひそかに胸を焦がしてじくじくしてしまった。
そういう場所はおそらく人にとって、自分を形作る様々な水脈が流れる源なのではないだろうか。誰にも知られないで、ときどきこっそり訪れる自分だけの、秘密の場所。
 
この本では中華商場という、台北にあった繁華街がその場所になる。10人の子供たちが主人公になった連作短編集である。子供と言っても年齢もそれぞれ、小学生くらいだったり、10代も後半だったり。そしてそれぞれ大人になった主人公の回想として語られている。
それぞれの胸にある中華商場を、それぞれの視点から語った、まあ言ってみればたわいない物語だ。
 
でもそこには、わたしたちがたしかに持っていた、でももう失くしてしまった、そして失くしたことすら忘れていたようななにかがくっきりと写し取られていた。読んでいてハッとする瞬間が何度も訪れる。でもそれが何なのかなかなかつかめない。そして何度もジリジリと胸が焼けるような想いを経験してしまった。
 
やられたなぁ。
 
台湾には行ったこともないし、小説を読むのも初めてなのに。こんなに切なく懐かしく思えてしまうとは。
 
それはきっとこの小説の舞台"中華商場"があらゆるスキマからつながっているからなのだと思う。遊びで書いたエレベーターの九十九階のボタンが、ある日突然本物になっていたり、いつも参拝客に撫でられてつやつやになっている神社の獅子が、動き出して目の前に現れたり。かくれんぼで隠れた家の猫が、意味ありげに笑っているのを見てしまったり……
そういうことって、わたしたちの世界でもふとしたスキマにあったりするものなんじゃないかと思う。
そしてこの中華商場はそういうスキマがあちこちに空いている。そこをつないでいるのが"歩道橋の魔術師"の存在だ。
魔術師といってもただの子供だましのマジシャンで、歩道橋の上で子ども相手にマジックを披露し、あやしげなマジックグッズを売りさばいている、ともすればうさんくさい存在だ。
でも彼は物語の中のふとした瞬間に現れて、そのスキマをふいに開けたりする。
インチキ!と思っていてもドギマギしてしまう魅力がそこにある。
それがきっとわたしたちのスキマともつながっていくのだろう。
 
子どもだけじゃない。大人をも魅了するスキマの闇。それがそこここに立ち現れるのがこの小説の1番の魅力なんじゃないだろうか。
 
この小説、海外文学が苦手だという方にこそぜひ勧めたい。このノスタルジーは日本人にはすっと馴染むはずだと思う。
村上春樹と比較されそうな気もするけど、わたしはむしろ村上春樹が苦手な人にこそお勧めしたいと思った。あの独特のキザっぽさはまったくなくて、もっとずっと素直な文章だから。
 
そして翻訳が本当に素晴らしいと思う。ここまで違和感のないものもなかなかない。日本語独特の表現で中華商場の雰囲気、少し不思議な思い出のノスタルジーを醸し出すことに成功している。
 
表紙や装丁もさすが白水社エクスリブリスシリーズで、こちらも素晴らしい。
ちなみにエクスリブリスシリーズは本当にハズレがないので(ごめんなさい全部読んだわけじゃないけど)、本屋さんで見かけたらぜひ手に取ってみることをお勧めします!
 
これ、自分的に年間ベスト3には入る作品!(たぶん!)
東山彰良の『流』も直木賞受賞したし、今年は台湾が熱い!!

bookclub.kodansha.co.jp

 

onaka.hateblo.jp

 
 
 

戦後70年の夏、今読みたいこの一冊『世界の果てのこどもたち』中脇初枝

戦後70年という節目の夏。

新聞各紙も連日それぞれコラムを書いているし、街の書店でも特設コーナーが設置されているところも多いですね。
さらに、安倍政権の安保法案が成立されるんじゃないかということで、各地でデモや議論が巻き起こっているので、今、改めて戦争について考えている人は多いんじゃないかと思います。
 
そんな特別な夏に、この本を読めて本当によかった。
『世界の果てのこどもたち』中脇初枝 講談社

bookclub.kodansha.co.jp

もう、発売から数ヶ月たち、いろんな場所で紹介されているのでご存知の方も多いでしょうけど、終戦記念日の近い今、改めてご紹介したいと思います。
 
それにしても、本当にこどもを書くのがうまい作家さんだなぁと思う。
『きみはいい子』のあの、変に子供染みても大人びてもいない、すごくリアルなこども像を読んで、わたしはものすごい勝手にこの人は信頼できる人だと感じてしまったんだけど、今回もやはりその思いはぶれませんでした。
 

www.poplar.co.jp

 

 
戦時中、親に連れられてやってきた満州で出会う三人のこどもたち。自分が何人(なにじん)なのかも気にせず、ただ目の前にある豊かな自然とともに、友情を育む。最初は来てよかったと思えた満州だったけれど、終戦とともにその状況は一変し、三人の運命も翻弄されてゆく。生きることに必死だった戦後。別々の道を歩んだ三人がたどり着いた人生を描いた物語。
 
この小説素直にすごいと思うのは、戦後の混乱をくぐり抜けて、三者三様に生き抜いていくところがクライマックスじゃないところ。人生はその後も続くんですよね。身体の傷は消えても、心の痛みはちょっとやそっとじゃ消えません。そこをしっかり書き続けている。そして、こどもたちの心情が本当にリアルに豊かに書かれているので、読んでいるほうは戦争を知らなくても、"戦争"というワードにいたずらに心を乱されることがありません。
 
つまりは戦争を題材にこどもを描いた、よくあるお涙頂戴ものなんかじゃなく、こどもたちの人生の中にあった戦争という状態をそのまま飾りなく書いたものというふうに、わたしには読めました。
 
みんなで分けあって食べたおむすび、一緒に競争しながら勉強した先生、おぶってもらって逃げた夜、本当の両親じゃないのに、心から大切にされた日々…
つらい現実の中のあちらこちらにさまざまな優しさが描かれる。そしてこれもまた現実なのです。
 
『きみはいい子』を読んだときにも思ったのだけど、やっぱりこの作家さんは最後は人間を信じてるんだよなぁ。
そこを信じてるからこそ、どんなに深い悲しみがあっても、人間の本質を見失わずにいられると思うのです。
 
人は弱い。でも愛があれば強くなれる。
世界はすべてこの単純な物事の上に成り立っているんじゃないだろうかと思います。愛なしで強くなろうとすれば、ひずんでしまう。戦争はどんな戦争も誰ひとり幸せにしないでしょう。だから今、本気でわたしたちはひとりひとり考えなくちゃいけないんじゃないかと思うのです。
 
うちも家族で最後の戦争を経験した肉親が、今お別れのときをむかえようとしています。
もっともっと話を聞いておけばよかったと思う。晩年になってしまうと、やはり話すこと自体が難しくなってしまって、何も聞けないままでした。今、まだ戦争を体験したおじいさん、おばあさんが肉親にいるという人は、ぜひ聞いてみてほしいと思います。それは本当に最後のリアルな声だから。
これから日本はまったく戦争を経験したひとがいない時代に突入します。
それがどういうことなのか、わたしにはまったく想像もつかないけれど、なんとなくそら恐ろしい。
やっぱり語り継がれなければいけないし、わたしたちはもう次の世代に語っていかなければならないよなぁと思うのです。
だからやっぱり本を読もう。そして、語り継ごう。負の歴史も。