はじめての海外文学

頭がふっとぶほどおもしろい海外文学のお話や、イベント、本屋さんのお話など本にまつわることを中心に書いていきます

『雪を待つ』ラシャムジャ

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人生初のチベット文学でした。

はじめて読んだのがこの本で、すごくよかったと思う。

すごく素直な本だったから。

初めて手にとったとき、素晴らしい装丁だなぁと思った。

そして『雪を待つ』というタイトル。「ある雪の日、ぼくは文字と出会った」という帯文。これは買ってから気づいたけど、カバーをめくるとすごく素敵な山村の絵地図が。これだけでもう胸ときめくでしょう。

 

物語は、主人公の幼少期と、村を出てからの青年期の2部構成。前半は本当に牧歌的で、村に学校が出来るところからはじまり、主人公が村を出て行くところまで、そこまでたいした事件がおこるわけでもなくのんびりと描かれる。だけど、その村の様子がものすごく魅力たっぷりに描かれていて人々がいつも四つ辻に集まり、長老のじいさんの昔話を聞くところや、子どもたちがミルク飴という飴を手に入れるために必至で行動するところなど、読んでいてすごく気持ちがなごむ。日本も昔はこうだったんだろうなぁと想いを馳せてしまう。

わたしはなんとなくチャン・イーモウの『初恋の来た道』を思い出した。チャン・ツィイーかわいかったよなぁ、、、(過去形)

 

でも後半はがらりと雰囲気が変わる。

主人公と、幼なじみでラマの化身となったにもかかわらず、途中で失踪してしまったニマ・トンドゥプが再会し、過去を振り返るような形で語られる場面や、主人公の独白のような形でたんたんと心境を吐露していたりする。故郷も争いが絶えなくなり、終止不穏な様子が浮き上がってくる。

わたしはこの後半部分、すごくおもしろいと思った。

こちらが期待するようには全然物語は動いていかず、なんとなく物語として不安定なまま、着地してしまったような感じはたしかにあるのだけど。

でも、主人公のどこまでもうじうじと後ろ向きな様子(!)や、文明にどんどん流されていってしまう他の登場人物たちはみんなすごく人間ぽくて、前半だけだったらおとぎ話のようだったけれど、後半があることによって失われていくものへの哀愁やどうしようもない切なさが増すような気がした。

 

最後の方で主人公の幼なじみの女の子が言う

「あたしたち大人にならなければどんなに楽しかったでしょうね」

という言葉。

すんごいしみました。

 

チベットの文明進化のスピードは本当に早くて、日本の比ではなかったそうで、この前半部分だって日本では戦後すぐくらいの様子だけれど、チベットではほんの20数年前。20数年のあいだにすごいスピードで入ってくる文明に人間は翻弄されてしまうんだろう。

電気や電子の力は、便利だけれど、あまり使いすぎると心を疲れさせてしまうのだよなぁ。

なんてことをしんみり考えながらも、チベット、、、この目で見てみたい!と本気で行きたくなりました。とりあえずトゥクパ(チベットのうどんのような麺。家庭の味??)は食べたい!