はじめての海外文学

頭がふっとぶほどおもしろい海外文学のお話や、イベント、本屋さんのお話など本にまつわることを中心に書いていきます

『歩道橋の魔術師』呉明益

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誰にでもひとつやふたつ、思い出すだけでたちどころに色やにおいや、湿度まで立ち上がってくるような、深く心に根付いている場所ってあると思う。
それは、生まれた家かもしれないし、小学校の校庭かもしれない。おばあちゃんの家かもしれないし、昔通った映画館かもしれない。
 
この本を読んでいたときに、自分にとってのそんな場所を思い出して、ひそかに胸を焦がしてじくじくしてしまった。
そういう場所はおそらく人にとって、自分を形作る様々な水脈が流れる源なのではないだろうか。誰にも知られないで、ときどきこっそり訪れる自分だけの、秘密の場所。
 
この本では中華商場という、台北にあった繁華街がその場所になる。10人の子供たちが主人公になった連作短編集である。子供と言っても年齢もそれぞれ、小学生くらいだったり、10代も後半だったり。そしてそれぞれ大人になった主人公の回想として語られている。
それぞれの胸にある中華商場を、それぞれの視点から語った、まあ言ってみればたわいない物語だ。
 
でもそこには、わたしたちがたしかに持っていた、でももう失くしてしまった、そして失くしたことすら忘れていたようななにかがくっきりと写し取られていた。読んでいてハッとする瞬間が何度も訪れる。でもそれが何なのかなかなかつかめない。そして何度もジリジリと胸が焼けるような想いを経験してしまった。
 
やられたなぁ。
 
台湾には行ったこともないし、小説を読むのも初めてなのに。こんなに切なく懐かしく思えてしまうとは。
 
それはきっとこの小説の舞台"中華商場"があらゆるスキマからつながっているからなのだと思う。遊びで書いたエレベーターの九十九階のボタンが、ある日突然本物になっていたり、いつも参拝客に撫でられてつやつやになっている神社の獅子が、動き出して目の前に現れたり。かくれんぼで隠れた家の猫が、意味ありげに笑っているのを見てしまったり……
そういうことって、わたしたちの世界でもふとしたスキマにあったりするものなんじゃないかと思う。
そしてこの中華商場はそういうスキマがあちこちに空いている。そこをつないでいるのが"歩道橋の魔術師"の存在だ。
魔術師といってもただの子供だましのマジシャンで、歩道橋の上で子ども相手にマジックを披露し、あやしげなマジックグッズを売りさばいている、ともすればうさんくさい存在だ。
でも彼は物語の中のふとした瞬間に現れて、そのスキマをふいに開けたりする。
インチキ!と思っていてもドギマギしてしまう魅力がそこにある。
それがきっとわたしたちのスキマともつながっていくのだろう。
 
子どもだけじゃない。大人をも魅了するスキマの闇。それがそこここに立ち現れるのがこの小説の1番の魅力なんじゃないだろうか。
 
この小説、海外文学が苦手だという方にこそぜひ勧めたい。このノスタルジーは日本人にはすっと馴染むはずだと思う。
村上春樹と比較されそうな気もするけど、わたしはむしろ村上春樹が苦手な人にこそお勧めしたいと思った。あの独特のキザっぽさはまったくなくて、もっとずっと素直な文章だから。
 
そして翻訳が本当に素晴らしいと思う。ここまで違和感のないものもなかなかない。日本語独特の表現で中華商場の雰囲気、少し不思議な思い出のノスタルジーを醸し出すことに成功している。
 
表紙や装丁もさすが白水社エクスリブリスシリーズで、こちらも素晴らしい。
ちなみにエクスリブリスシリーズは本当にハズレがないので(ごめんなさい全部読んだわけじゃないけど)、本屋さんで見かけたらぜひ手に取ってみることをお勧めします!
 
これ、自分的に年間ベスト3には入る作品!(たぶん!)
東山彰良の『流』も直木賞受賞したし、今年は台湾が熱い!!

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