はじめての海外文学

頭がふっとぶほどおもしろい海外文学のお話や、イベント、本屋さんのお話など本にまつわることを中心に書いていきます

『ジャングル・ブック』ラドヤード・キプリング

f:id:onakaitaichan:20150608121446j:plain
 
 なつかしい、、、、
そう思う方も多いのではないか。先日、児童文学の名作、キプリングの『ジャングル・ブック』がなんと60年ぶりの新訳で岩波書店から発売された。
わたしは残念ながら子供時代にこの名作と出会ってはおらず、今回はじめて読む機会をもらって楽しませていただいた。ちなみにディズニーの方ともこれまた完全に出会う機会がなく、幸か不幸か、まったくの予備知識なしでジャングルに降り立つことになったのだった。
 
そして、驚いた。
悔しかった。
血が沸き立った。
うらやましく思った。
 
驚いたのは、これはまったくわたしが子どものころ夢見た世界だったから。
悔しかったのは、どうして『シートン動物記』や『ドリトル先生シリーズ』が大好きだったのに、これに出会っていなかったのかということ。
血が沸き立ったのは、あまりにも生き生きとジャングルそのものが脈打つように100年以上も前の物語がよみがえっていたから。
うらやましく思ったのは、ここにいる動物たちに慕われ、敬われ、家族のように暮らしている主人公の少年”モウグリ”に、わたしもなりたいと思ったから。
 
何をかくそうわたしは純粋無垢な少女時代(あったんですけど)、本気でがんばればなんとか動物たちと話すことができるんじゃないかと信じ、その頃家にたくさんいた犬や猫やにわとりをこねくりまわし、なんとか言っていることをわからせようと剣闘した結果、犬にはただただ遊んでくれるんだね!っと期待をこめた目で見つめ返され、猫には完全に無視され、にわとりにいたっては無視すらされず、何事もなかったかのようにえさをついばみ続けられ心折れる、、、ということを繰り返していた。そして一時は馬やふくろうなど物語に出てくる動物にあこがれ、本当に本気でムツゴロウ王国への参入をたくらんでいたのだが、母にああいうところは朝すんごく早いのよと脅されあっけなくあきらめたりもした。(根性はありません)
 
それからぬいぐるみとかよりも、↓こういうリアルな猛獣フィギュアが好きだったので、もし、もしもわたしが子どものときにこの本を読んでいたら、間違いなく『ジャングル・ブック』ごっこができたのになぁと涙ながらにハンカチをかむいきおいだ。
 

www.toysrus.co.jp

そんな子ども時代の思い出がわーっとかけめぐって、ひさしく感じていなかったきゅっとなるようなワクワク感が思う存分楽しめた、たいへん幸せな読書だった。
 
ストーリーはきっとわたしよりみなさんのほうがご存知だと思うけど、ジャングルで虎に襲われた人間の子どもがオオカミに助けられ、育てられて、ジャングルの掟のもとにさまざまな種族と助け合いながら、のちにジャングルの主となっていくお話。
 
時代はイギリス統治時代のインドで、今読むと完全にインドの原住民たちは位が下に描かれているので違和感を感じるかもしれないけれど、キプリングが生きていた時代にはそれが普通のことだったのだと思う。
どちらにしてもジャングルに生きる民たちからしてみれば、人間というのは不可解で危険な生き物なのだ。モウグリは人間といえど、オオカミのお乳で大きくなり、ひぐまのバルーにジャングルのおきてを学び、黒ひょうのバギーラに勇気を、ニシキヘビのカーからは叡智をそれぞれ受け取ってゆく。
それぞれのキャラクターも本当に魅力的で、わたしは大きなヘビのカーが大好きになった。彼が不思議なダンスで猿たちを惑わしていくシーンや、ジャッカルたちを知恵で追いやっていく場面は最高にスリルあふれる沸き立つ場面となっている。
そして、特筆すべきは三辺律子さんによる新訳。一行一行からジャングルの息吹が五感に感じられるような、生命力にあふれた文章で非常に魅力的でした。
 
ご本人からお話を伺う機会があったので、ちらりと気になる裏話を聞いてみました。
まずなぜ今『ジャングル・ブック』なのかというところが気になるのですが、これは偶然、岩波書店のほうから60年ぶりに新訳を出したいという話が三辺さんにあり、子どものころから100回以上は読んでいる愛読書だったということもあったし、大学の講義中にも今の子たちは古典の訳は読みにくいと思っていることがよくわかったそうで、新訳を出せばもっと広い範囲でよみがえる作品があるのではないかと思ったのだそうです。
三辺さんは翻訳のいいところのひとつは、そうやって何度でも復活させることができることだと仰っていて、本当にそのとおりだなぁと何度もうなずいてしまいました。
それから、大変だった点はどんなところか聞いてみたところ、これはやはり19世紀の古い英語を今の日本語に翻訳するという点は非常に苦労されたそうです。いつもならわからないところは作者に聞くところも、今度ばかりはそうもいかないですしね、、、と笑って仰っていました。なるほど、、、そんな問題もあるのか。
現在、さらにキプリングの他の本も翻訳中とのことで、そちらも本当に楽しみですね!
 
なんと赤羽の素敵な絵本専門店、青猫書房さんで6/27(土)14:00から
翻訳者 三辺律子さんと 編集者 須藤建さんの対談が開催されるそうです。編集後記的なお話もたくさん聞けるんじゃないかとわくわく。
そして、今回表紙と挿絵を担当された五十嵐大介さんの原画展も同店舗にて開催中とのことです。この絵がまた素敵なのだよな〜!ぜひぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか?
 
 
 
 
 
 

『その女アレックス』ピエール・ルメートル

f:id:onakaitaichan:20150603141003j:plain
 

何度もやってて、やっとリンクの貼り方おぼえた、、、。

 

さて、本屋大賞受賞作第3位までを読んでみよう企画!

ようやく、第1位のこちらまですべて読み終えました。6月入っちゃった〜。月日がたつのは本当にあっという間ですなぁ〜。

 

まずは、この史上初7冠達成という、昨年の超大型ミステリー『その女アレックス』の感想を。といってもすでにいろんなところで書きまくられているうえに、ネタバレできないという枷があるという非常に悩ましい作品。

どうやって書くかなぁと考える中で、そういえばわたしこのブログを誰にむけて書いているんだろうとじっくり考えてみた。本好きな人?海外文学好きな人?読書の幅を広げたいと思っている人?それもそうだし、いろいろあるんだけど、やっぱり一番はこれから読みたいと思っている人、興味を持っている人にむけて、書きたいと思っているのだと改めて考えた。

 

でもこの小説に関しては、これから読みたい人は本当に何も知らずに読むのがいいと思う。もうこれだけ宣伝されてしまった後だし、そもそも文庫の帯には「あなたの予想はすべて裏切られる!」なんてセンセーショナルな文言。きっと驚きの連続なんだろうなということは、もうわかっているだろう。でもそのくらいの情報で十分。あとは実際に読んで自分がどう思うかというものだと思う。

だから、今わたしは非常に苦しんでいるわけですよ。どうしよっかなーと。

これ以降は、このブログ読むことはおすすめしないけれど書いてみるか、それとも極限まで内容にはふれずに感想のみ書いてみるか・・・。いや後者ははてしなくむずかしい。

 

でもなにごとも挑戦か。

ここまで書いても、やはり本当に読みたい人はこのへんでやめてすぐに読みはじめたほうがいいと思う。でも読むのを迷っているひとにむけて、なるべく影響ない程度に書いてみます。

 

最初に言うけど、万人にすすめたい小説ではない。

わたし個人的には人にすすめたりはしないだろう。

自分は残酷なシーンとか、血で染まるような描写もわりと平気な方なので読めてしまったけれど、そういうものが苦手な人には絶対におすすめできない。

正直言うと途中まで、なんて悪趣味な小説だよ。これが7冠ってどんだけみんな残酷なものが好きなんだろうと、少々げっそりしてしまったことを打ち明けておく。

でもやっぱりそれだけじゃないから、こんなに評価されているのだった。

衝撃的衝撃的とあちこちに書かれているけれど、そしてたしかにそれは間違いじゃないけれど、その衝撃は全て同じ衝撃じゃない。受けるたびに違う色に変化していく。それが気になって読者はどうしても先へ進んでしまうだろう。そうなったらもう最後まで進むしかない。その覚悟はしてほしいと思う。

 

よし、おわり。

これだけで十分だ。

 

あ、あともう少し書けるとしたら、捜査を進める刑事のほう。

身長145cmというかわいそうなハンデの持ち主カミーユ警部と、とびきりオシャレだけどイヤミのない部下ルイ、それから気づけば誰かにたかっているどケチのアルマン。この三人があーだこーだやり合いながら捜査を進めていく。この3人がいるから凄惨な物語も息つくひまを与えてくれる。3人とも(ルイはゆいいつけっこうマトモだけど)個性豊かで、人間としてどうなんだよと思ってしまうキャラがよい。

そして最後に、文春文庫から同じ著者の第1作目『死のドレスを花婿に』が文庫化されている。

ここでカミーユ警部の過去が明らかになっているのかと思ったけれど、そうではないらしい。こちらの方が先に書かれたものだけど、特に物語はつながってないようなので、アレックスの次に読んでも問題ないそうです。アレックスが好きだった方はこちらも好きかも、、、。たぶん、、、。

 

長くなってしまったけれど、ここでちょっとまとめを。

本屋大賞翻訳部門第3位まで、5作品6冊読んで感想を書いてきましたが、個人的に一番好きだったのはやはり2位の『ハリー・クバート事件』

ツイン・ピークスの再来!『ハリー・クバート事件』 - 旅する読書灯 (自分の記事)

文句なく楽しめたエンタメ作品だった。

3位の三作も甲乙つけがたく、どれも楽しかったし、読んでよかったと思えるもの。1位だけはもう一度読みたいとは思わないけど、、、でも1位にふさわしい圧倒的な衝撃度でした。

2015年本屋大賞の翻訳部門は、比較的だれでも楽しめるエンターテイメント作ばかりで、海外文学苦手な方にもここから入ればいいんじゃないと胸をはって言えるラインナップだと思う。文章やプロットは完璧ではないかもしれない。でも読んで楽しい。はっきりそう思う小説たちだった。それでいいじゃないですか。だって読書って娯楽だもん。

 

 

 

 

 

『火星の人』アンディ・ウィアー

f:id:onakaitaichan:20150601151002j:plain
 
いやー笑ったなぁ〜!
最高でした。
 
火星へのミッション中突然の嵐に遭い、ふきとばされてしまう主人公マーク。他のクルーはやむなく任務を引き上げて地球へ帰還してしまう。
でも、奇跡的にマークは生きていて!残された基地と食料、さまざまなサプライで生きのびることができるのか!?っていうお話。
 
SFといえど実際におこりうる話のようで、設定がまずおもしろい。
とにかく彼は火星でひとりぼっちで奮闘するんだけど、その過程を日記のような形でログにのこしている。物語はそのログと実は彼が生きていたとわかってからの地球(NASA)
の様子を交互に展開することで成り立っていく。NASAの部分はもちろん物語上必要な部分なのだけど、マークのログの部分の方が圧倒的におもしろい。最初にほんとにびっくりしたのが、いやいやあんた火星に一人ぼっちなんだぜ!とつっこみたくなるほどの、マーク・ワトニーのカルさ。。
もちろん、必至で生き延びる努力はしているし、植物学者でエンジニアというだけあって、火星でのジャガイモ栽培もやってのけるし、各機材の修理や改造もお手の物。ときどきは死にかけてくそったれ!と叫ぶときもある。でも、うじうじ悩んだりは一切しないし、いつでも前向き。そしてヒマさえあればだーれもいないのにとんでもないジョークをとばしつつ、70年代のテレビドラマを見たりしている。なんだか楽しそうなのである。
 
でも後半、生き延びるか否かという展開になってくるとやはりせっぱつまった描写が多くなる。こちらもハラハラするし、スピード感が増してきてこれでもかというほどスリル満点になってくる。手に汗にぎる展開なのである。これはさすがに彼も余裕なし、、、と思いきや、やっぱり最後までジョークは忘れないのである。あっぱれ。
 
こんなにユーモアあふれるSF小説なんて、今まであったのだろうか。
いや、わたしSF全然読んでいないので、まったく詳しくないのだけど、少なくともわたしははじめて読みました。そして、こんなのならもっと読みたい!そう思わせてくれた。好きですよこういうの。
 
アンディ・ウィアーさんはなんとこれが処女作とのこと。ブログにあげていたこの作品が話題になって、電子書籍になり、それも売れに売れて書籍化されたのだそう。これは話題になるだろうし、売れるよなー!と本屋大賞第3位も納得の1冊でした。次の1冊も楽しみだ!
 
 
 
 

『氷』アンナ・カヴァン

f:id:onakaitaichan:20150529162442j:plain
 
すごいすごいとは聞いていたのだけど、本当にすごかった。
カヴァンの『氷』。
 
これは何なのだ。
全編通して、途切れることのない不穏さ。
主人公がいったい何者なのかも、まったくわからない。ただただひとりの少女を追い続ける。偏執的といえば偏執的だけど、ふたりにどんな過去があるのかも詳しくは明かされないので、どう受け止めていいのかとまどってしまう。
 
一方で、じわりじわりと浸食してくる”氷”の存在もこの物語の不穏さをよりいっそうあおる。”氷”はもう一人の主人公と言ってもいい。とにかく冷たく寒いこの世界に一歩足を踏み入れたら最後、もう戻れないのだ。
 
こういう小説を何と言えばいいのか、さっぱりわからないのだけど、冒頭のクリストファー・プリーストの序文を読むと、これはスリップストリーム文学だと書いてある。なんですかそれは・・・。
Wikipediaさまによると、スリップストリームとは従来のSFやファンタジー、はたまた純文学などの概念にとらわれない、一種の幻想文学もしくは非リアリスティックな文学のこととある。ヴォネガットや、ポール・オースター、なんと村上春樹もここに入るのだという。うおーはじめて知った!!なるほど、たしかに幻想文学と純文学のはざまのような小説かもしれない、この『氷』は。
 
でもだからといって、難しく考えることはないと思う。
五官で感じるものがきっとある。なんといってもこの肌をじわじわとおおいつくしていくような、氷の感触はおそらく他では味わえない読書体験になるだろう。
わたしたちはページをひらいた瞬間から主人公と同じように、氷の世界に迷い込み、さまよい、その目で見ているような錯覚におちいる。そして、気づいたときにはもう抜け出せなくなっている。その恐怖感は一種独特で、もう二度と味わいたくないような、なんだかやみつきになってしまうような、不思議な恐怖なのだ。そして、ラスト。特にすっきりするような終わり方でもないのに、なぜだかある種のカタルシスを感じるという摩訶不思議さ!!目の前がぱぁ〜〜っと開けていくような感じがしたのです。ちょっとこわ、、、。
 
なんだったんだ、、、。
と、読み終えてしばらくは呆然としてしまった。
 
これもう一度読んだら、またまったく違う体験ができそう。
あぁ、たぶんもうはまりこんでる。
自分にとって新しいジャンルだったけど、スリップストリーム、、、わたし、かなり好みかもしれない、、、。ふふふ。
 
 
 
 

『雪を待つ』ラシャムジャ

f:id:onakaitaichan:20150520123147j:plain

人生初のチベット文学でした。

はじめて読んだのがこの本で、すごくよかったと思う。

すごく素直な本だったから。

初めて手にとったとき、素晴らしい装丁だなぁと思った。

そして『雪を待つ』というタイトル。「ある雪の日、ぼくは文字と出会った」という帯文。これは買ってから気づいたけど、カバーをめくるとすごく素敵な山村の絵地図が。これだけでもう胸ときめくでしょう。

 

物語は、主人公の幼少期と、村を出てからの青年期の2部構成。前半は本当に牧歌的で、村に学校が出来るところからはじまり、主人公が村を出て行くところまで、そこまでたいした事件がおこるわけでもなくのんびりと描かれる。だけど、その村の様子がものすごく魅力たっぷりに描かれていて人々がいつも四つ辻に集まり、長老のじいさんの昔話を聞くところや、子どもたちがミルク飴という飴を手に入れるために必至で行動するところなど、読んでいてすごく気持ちがなごむ。日本も昔はこうだったんだろうなぁと想いを馳せてしまう。

わたしはなんとなくチャン・イーモウの『初恋の来た道』を思い出した。チャン・ツィイーかわいかったよなぁ、、、(過去形)

 

でも後半はがらりと雰囲気が変わる。

主人公と、幼なじみでラマの化身となったにもかかわらず、途中で失踪してしまったニマ・トンドゥプが再会し、過去を振り返るような形で語られる場面や、主人公の独白のような形でたんたんと心境を吐露していたりする。故郷も争いが絶えなくなり、終止不穏な様子が浮き上がってくる。

わたしはこの後半部分、すごくおもしろいと思った。

こちらが期待するようには全然物語は動いていかず、なんとなく物語として不安定なまま、着地してしまったような感じはたしかにあるのだけど。

でも、主人公のどこまでもうじうじと後ろ向きな様子(!)や、文明にどんどん流されていってしまう他の登場人物たちはみんなすごく人間ぽくて、前半だけだったらおとぎ話のようだったけれど、後半があることによって失われていくものへの哀愁やどうしようもない切なさが増すような気がした。

 

最後の方で主人公の幼なじみの女の子が言う

「あたしたち大人にならなければどんなに楽しかったでしょうね」

という言葉。

すんごいしみました。

 

チベットの文明進化のスピードは本当に早くて、日本の比ではなかったそうで、この前半部分だって日本では戦後すぐくらいの様子だけれど、チベットではほんの20数年前。20数年のあいだにすごいスピードで入ってくる文明に人間は翻弄されてしまうんだろう。

電気や電子の力は、便利だけれど、あまり使いすぎると心を疲れさせてしまうのだよなぁ。

なんてことをしんみり考えながらも、チベット、、、この目で見てみたい!と本気で行きたくなりました。とりあえずトゥクパ(チベットのうどんのような麺。家庭の味??)は食べたい!