はじめての海外文学

頭がふっとぶほどおもしろい海外文学のお話や、イベント、本屋さんのお話など本にまつわることを中心に書いていきます

『忘れられた巨人』カズオ・イシグロ

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今のところ、今年1番の話題作なのではないでしょうか。
日の名残り』や『わたしを離さないで』の著者、カズオ・イシグロの10年ぶりの新作長編。
 
わたし、実はカズオ・イシグロ初挑戦。
でも『日の名残り』は映画で見ていたこともあって、少し硬めの堅実な物語を書く人なのかと勝手にイメージしていたのだけど、今回はじめて読んでみてその型にはまらない、まったく予想外の作風に驚いた。
聞けば、毎回書くたびにジャンルのわくを飛び越えてしまうお方なんだそうで、、、
全作品、全然違う雰囲気を持っているとか。そんなこと言われたらがぜん読み漁りたくなってしまうわー。
 
この『忘れられた巨人』
本当に不思議な読後感を残してくれた。
今まで経験したことがない、読書体験だったし、見たことがない世界を見せてくれた。
物語は『アーサー王の物語』をベースにしていて、竜や鬼なんかが普通にいる世界。しかし住民たちは知らない間に様々な記憶を忘れていってしまうという、奇怪な現象に悩まされていた。
この"記憶"というのがひとつのキーワードになる。
 
ご存知のとおり人間の記憶というのは、本当に不確かなもので、昨日食べたものが思い出せないなんてしょっちゅうだし、一年前に行ったと思っていたレストランに実際行っていたのは二年前のことだったり、ずっと親友の誕生日を間違ってお祝いしてて、毎回訂正されるんだけど、次の年もしっかり間違ってお祝いしちゃう、、、なんて、日常茶飯事じゃありませんか(え、わたしだけ?)。
 
それから、あのときはああだったわよねぇなんて家族に言ったら、いや違うよこうだったよ、、、なんて返されてケンカになるなんてことも、よくあることじゃないでしょうか。
 
そう、記憶というものの怖いところは、非常に曖昧ゆえに何が本当なのかわからなくなってくるというところ。
 
この物語も主人公の老夫婦は、なぜかまわりの人よりも記憶が残っていることが多く、それで失われていっているものがあることに気づくんだけど、普通の人たちは記憶がなくなっていくことすら気づけない。これがものすごく怖い。
記憶がないっていうことは、地盤がないということ。すべての地盤がゆらいであっけなく消えてしまう。わたしたちは何を信じたらいいのかたちまちわからなくなる。
 
ところがこの物語は先に書いたとおり、イギリスの有名な伝説『アーサー王の物語』を元にしている。
伝説というのは、容赦なく信じることを追求してくる代物ではないだろうか。
この容赦なく信じることを追求してくる世界をベースに、何もかも信じられなくなる不安定な世界を立ち上げてしまったのが、この『忘れられた巨人』という物語だと思う。
おそらく、こんな物語は他にないし、こんなことはこの著者、カズオ・イシグロにしかできないものなのではないか。
 
それゆえ、この不思議な読後感がずっと消えないんだろうなぁと。
 
老夫婦は昔一緒にいたけれど、どこかに出て行ったような気がする息子に会いに、旅に出ることにする。これがまた非常に曖昧。まず本当に息子はいたのか。そして本当にいたとしてなぜ出て行ったのか、今どこにいるのか。彼らは頑なに息子が待っているはずと信じているけれど、それは本当なのか。まったくわからないまま旅に出る。
しかもどこにいるかもよくわかっていないのに、隣村に行ってみればわかるような気がするくらいのものすごい曖昧さで、でかけてしまうのだ。すごいなおい。
そして、図らずもこの旅が大切なものを取り戻していく、人生の巡礼のような道のりになっていく。
 
あらすじはこれくらいにして、未読の方はぜひとも手に取っていただきたい。
海外小説苦手な方にもぜひともオススメしたい。文章は素晴らしく読みやすいし、テーマは普遍。そして喜んでください。登場人物少ないです!
日本の小説だったらやはりファンタジーをベースに人間の心理を深く描く上橋菜穂子さんの『鹿の王』や、あとは絲山秋子さんの『離陸』の世界観なんかお好きな方には特にオススメ。

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タイトルの巨人というのは、物語中まったく出てこないし、それが何なのかも明かされないのだけれど、読んでみると背後にとてつもなく大きなものがそびえているような気がしてくるから不思議だ。きっと人それぞれ感じる巨人は違うのではないかと思う。

さらに読み返すたびに、また変わりそうでもある。
 
こういう本に出会うたびに、身も心も震えてしまって止まらなくなる。
自分の中にたまっている水が、溢れ出してしまって水浸しになってしまう。
でも気持ちいい。
やめられないと思う。
最高の読書でした。
 
早くみなさんにこの類い稀な物語を読んでいただいて、語り合いたい。
わたくしのあまり優秀でない記憶が確かなうちに!
 
 

傑作!『黒が丘の上で』ブルース・チャトウィン

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ブルース・チャトウィンについて知っていることと言ったら、『パタゴニア』や『ソングライン』などの有名な紀行文学の著者。イギリス人。といったことくらいかも。てへ。

イギリス文学も紀行文学も好きなのでいつかは読んでみたいと思っていたけれど、なぜか機会がないままに読まずにきてしまっていた。

でもまさかこの本を最初に読むとは思っていなかったなぁ。

 

よく知られているように、チャトウィンの文学は壮大な土地を旅する人を書く紀行文学が有名です。当然世間はチャトウィンを紀行文学作家として認識していました。でも、実際は本人は紀行文学作家という肩書にはどうも不満があったようです。というかおそらくどんな肩書も不満だったのかも。常に新しい道を探し、型にはまらない生き方を選んで進む人だったようだから。この『黒が丘の上で』はチャトウィン3作目の著作で、”決して旅などしたことのないひとたちについて書こうと決めた”ときの作品でした。

 

舞台は、イングランドウェールズの国境沿いの農村地帯。

黒が丘の農地を買い取り、移り住むジョーンズ一家の生涯を丁寧に描く。父エイモス・ジョーンズと母メアリーの出会いまでさかのぼり、それから二人のあいだに生まれる双子のルイスとベンジャミンの生涯まで、一家に起こる悲喜こもごもを描いた壮大な家族の物語。

たしかに1歩も外には出ません。むしろ広大な農地を持つ田舎暮らしのくせに引きこもりの気さえあるという・・・。そんな内にこもった人たちの話なのだけど、どうしてかものすごいスケールを感じてしまった。

特に双子の晩年、これで血の流れを途絶えさせてしまうかもしれないとなったときに感じている、二人のあせりや圧迫感。はっきりとは明記されていないにもかかわらず、そういう感情がむき出しになってくる様子がじりじりと描かれていく。

何も起こらないのに、緊迫感ただよう。何も起こらないことに、ひりひりさせられる。

 

すごかった。

 

そして、この一家の独特な人柄も。

もちろん、家族一人一人性格や性質は違うのだけど、どこかみんなわたしたち日本人から見れば変わり者。頑固者でカッとなりやすい父エイモス、優しく包容力があるけれどこちらもなかなかの頑固者の母メアリー、優しいけれど少し臆病で家族の言いなりになってしまう兄ルイス、そしてしっかり頑固な血は受け継いだ上に、感受性も豊かな弟ベンジャミン。正直みんな激しくやっかいな性格です。

これはおそらくウェールズ人という独特の民族の人柄を、非常によく表しているんじゃないかと思います。わたしはウェールズには行ったことがないので、想像でしかないのだけど、イギリスに行ったときに近くまでは行きました。そのとき、わたしの中ではイングランドウェールズも同じイギリスくらいの感覚だったのだけど、現地の人たちの中ではもっとずっとはっきり線が引かれているのだと感じたのでした。もっと言うと、イングランド人はウェールズ人を見下しているし、ウェールズ人もイングランド人を毛嫌いしているような雰囲気がありました。おそらく宗教の違いとか、歴史上もいろいろあったゆえなのでしょうが、隣り合う民族同士もっと仲良くやればいいのにと、無責任に思ったことを思い出しました。

翻訳者の栩木伸明さんあとがきによると(このあとがきが素晴らしくおもしろい)、ウェールズ人はアイルランド人に似ているとのこと。なるほど、すごくよくわかる。

気難しくて、頑固で、酒好き、音楽好き、でも一度情を通わせるとすごく深い愛情を持った民族でもあります。

めんどくさいことはこのうえない。でも愛すべき人たちという感じかな。

 

チャトウィンはこのウェールズという土地を愛し、自らの故郷のようなものと思っていたようです。つまりはやっぱり変人だったんだろうな。その当時からすれば。

でもわたしはこの土地を愛してしまったチャトウィン自身にすごく興味を持ったし、ウェールズという土地にもやはり興味を持ってしまいました。

いつか訪れてみたいと心から思いました。

 

でもそれ以前にこの『黒が丘の上で』

読めてよかった。本当に傑作です。

非常に地味ではあるけれど、ことばに今はもうめったに見ることのできない力があります。

栩木さん訳も素晴らしかった。

 

さて、昨年から刊行が続いているチャトウィン作品ですが、みすず書房さんより先月『ウィダーの副王』という元は『ウィダの提督』というタイトルだったチャトウィンの2作目の作品が新訳で刊行されています。こちらは元々のチャトウィンのイメージ通り、アフリカでの壮大な物語だそうなので、気になる方はぜひ。

わたしもぜひ読みたい!

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『裏面 ある幻想的な物語』アルフレート・クビーン 挿絵の魔力

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白水社 : 書籍詳細|U198 裏面 ある幻想的な物語[白水Uブックス]

 

じめじめと雨が降り続いている、まさに梅雨という天気だけど、そんな天気にうってつけの幻想小説を読んだ。

久しぶりにこれぞ幻想という雰囲気の一冊。

 

著者、アルフレート・クビーンはチェコ生まれでオーストリアに移住する挿絵画家。

ヨーロッパのこのあたりの国は、おどろおどろしい物語が多いですな〜。暗くて、じめっとしていて、闇の中から浮かんでくるような・・・や、全然嫌いじゃないです。

 

冒頭部分からかなり引き込まれた。

主人公夫婦のもとに、ある得体の知れない男がやってきて、ギムナジウム(高等中学校)時代の風変わりな友人”パテラ”から二人がとある夢の国へ招待を受けているというのだ。

いや、怪しすぎるでしょとつっこみたくなるし、本人たちもけっこう疑っているのだけれど、最終的には好奇心と手にしたお金(当面の生活費としてかなりの額の小切手がわたされる)に勝てず、その夢の国”ペルレ”とやらに向かう。

というのが冒頭。

書いてしまうとなんだか安っぽい話なのだけど、特筆すべきはその非情に大げさで、しゃちこばった固い文体の醸し出す雰囲気。

いかにも”夢の国(ニヤニヤ笑い)”へお連れしますよという胡散臭い雰囲気たっぷり。いいなーいいなー怪しいけど行っちゃうなー。そういうのほんとけっこう好きですはい。

 

こういう物語は、とにかくつっこんじゃだめなの。

まずどっぷりつかってみます。それができると断然読み進めるのがおもしろくなるのですよ。

 

とにかく話の筋は単純で、裏表紙にもだいたい書いてあるのでばらしてしまいますが、この”ペルレ”という夢の国がまぁやっぱり不穏。年中霧におおわれていて、太陽は見えないし、人々はみんな何かを隠しているような、ごまかしているような。しかも自分たちを招いた友人パテラには一向に会えない。

そして郊外には碧眼の人々というのがいて(おそらくチベットかなんかの仏教徒のよう)決して笑いもせず、”無関心の関心”というのを貫いている。(主人公がこの碧眼の人々を観察し、その哲学を解いた章が意外におもしろい。”無関心の関心”という言葉がひっかかった人はぜひとも読んでみてください)

後半、アメリカ人がやってきてからは、街には伝染病が蔓延しはじめ、徘徊する野生動物たちや腐ってゆく人間たちなどが非情な勢いで書かれる。街はもろくもどんどん崩れてゆく。この後半がすごい。前半はいったい何だったんだろうというぐらいのハチャメチャさで突き進んでゆく。ぼんやりしていると完全に置いてきぼりをくっていて、あっけにとられるほどです。

 

さて、ここまできてこの小説何が一番魅力的かというと、

もちろんこれはわたしの超個人的意見ですが、

それは挿絵じゃないかと思うのです。

永遠の本棚シリーズ『ゴーレム』を読んだときにも思いましたが、挿絵というのはこの手の怪奇文学にはぜひともあってほしい。

この『裏面』も適度な間隔で非情におどろおどろしい挿絵が挿入されていて、胸がはずみます。挿絵だけ見ていてもおもしろい。

想像が妨げられると仰る方もおられると思いますが、この手の小説にはわたしはむしろあった方が想像がかきたてられるなぁ。

 

ましてやクビーンは挿絵画家なので、そっちが本職。

正直文章は少々美しさには欠けると思います。

だから復刊に際して、挿絵を復活させてくれたのは本当に素晴らしい。

これだけで、この梅雨存分に楽しめそうなので。

 

欲を言えば、ぜひとも新訳で読みたかったなぁというところ。

でももちろん復刊だけでも、十分すごいこと。

世の中には人知れず消えていく名作がたくさんあるのだから。

 

というわけで、みなさん梅雨も夏も本を読みましょー!

 

 

『ジャングル・ブック』トークイベント参加 赤羽「青猫書房」にて

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6月の最終土曜日、つまりそれは昨日のはなしですけれども。
赤羽にある児童書専門書店「青猫書房」さんにてキプリング

ジャングル・ブック』トークイベントがあるとのことで行ってきた。

 
ところでちょっと本題に入る前に寄り道。私事ですが妊婦のため、現在毎日節制生活。なかなか外食もできないので、今日は久しぶりにお昼を外で食べようと思い、どうせだったら何か美味しいものをと思ってケンサク。
正直そんなにたくさんはこれというものが出てこなかったけれど、ダントツでどこも赤羽ならここ!と推しているのがこちら。

 

うどん!正直わたしは蕎麦派なのですが、、、まぁ、暑い日に冷たいうどんもいいなぁと思い、行ってみることに。

いつ行っても長蛇の列とのことだけど、幸いそんなに長い列じゃなかったのでわりとすぐに入れた。たのんだのはたぬきぶっかけの冷たいのと、半熟玉子天。

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一口すすってたまげた。

なにこれ!やばいー!!

今までの人生で食べたうどんの中でだんとつ1番美味しい。東京にこんな美味しいうどん屋さんがあるなんて・・・べっくりだぁ。薬味にレモンをじゅとしぼるのもさっぱりして素晴らしい。そしてまた半熟玉子天を入れると・・・・って食◯ログみたいになってきた。なんのブログじゃここは。とにかくわざわざ行く価値あるうどん屋さんなことは間違いないです。(また行くぜったい)

 

さてさて、本題。青猫書房さんへ。

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初めて行くところだし、細い路地に入ったところの小さな本屋さんとのことで迷うかなと思ったけれど、全然そんなことはなく、地図通りに行けばなんなく着いた。

一番上の写真の素敵な本屋さん。

中は決して広くないし、点数も多くはないけれど、圧巻なのが岩波少年文庫などの岩波書店の本の多さ。これ街の小さな本屋さんではまず見られないし、大きな本屋さんでもここまでそろっているのは稀じゃないだろうか。

児童文学好きは驚喜すると思う。

絵本も低い棚に見やすいように並べられていて、小さなベンチや人形などの小物がかわいい。ちびっこたちもきっと喜ぶだろう。近い将来子どもと一緒に再来店したいなと強く思った。

 

奥のスペースにて今回のイベントが行われるということで、行ってみるとすでにちらほら子供をつれたお母さんがたや、書店関係かなと思われる人たちの姿。圧倒的に女性が多かった。そして表紙と挿絵を描いた漫画家五十嵐大介さんの原画展も行われていた。この絵がまた素晴らしいのだ。動物たちはまるで生きているかのように躍動感あふれていてかっこいい。あきらかに絵なのに!! 主人公モウグリの横顔はほれぼれするようだし、点数は数点だけれどずっと見ていてもまったく飽きない。作品にも本当にぴったりはまっていました。

 

そして、翻訳者三辺律子さんと岩波書店の編集者須藤建さんのトークは、最初から最後まで本当に面白く、何度爆笑したことか。

特に三辺さんが黒豹のバギーラが好きすぎて、思わずゲラ(校正の際の原稿)に”かっこいい、、、”と赤で書いてしまい、須藤さんがこれはどこに入る言葉なんだろうと迷った・・・という話は、制作者からじゃないと聞けないおもしろネタで、最高でした。

思ったのはお二人とも本当に本当にこの作品が好きなんだなぁということ。三辺さんなんて小さいころから100回以上は読んでいるとのことで、思い入れもひとしおだったと思う。だからこんなに伝わってくる素晴らしい作品になっているんだろうと納得。お話から作品に恋している様子がありありと伝わってきて、それを仕事で形にできたということにも素直に喜んでいるところが微笑ましくもあり、うらやましくもあった。こんな仕事ができたら最高だと思う。

 

作品についての自分の個人的感想はこちらに書いたので、よろしければ読んでみてください。

onaka.hateblo.jp

それから普段はあまり聞くことのできない編集者さんの声が聞けたことも、非常に興味深かった。読者からしたら作り手の声はもっともっと聞きたいと思う。

シャイな編集者さん、もっと前へ!!

 

なんて、、、でも真面目に、こういう制作する際の小ネタのようなお話を、なんとか読み手側に伝えられないかなと最近よく考えている。ご本人からすればたいした話じゃないようなものでも、裏話を知ることでぐっとその本自体に興味を持ってもらえたりするのではないかなと思うのだ。例えばこのブログで、わたしが紹介できるのは本の内容と、わたし個人の感想だけ。でもそこに作り手側の想いや裏話がほんの少しでも加わると、少し説得力が増すかもしれない。

こういうイベントに足を運ぶのは既によっぽどの興味を持っている人たちに限られてしまうけれど、ブログはもう少し幅が広い。

そしてもっと広いのは書店店頭です。

書店のPOPにそういうことが書かれていたら面白いんじゃないかと思うんだよなー。

地道な作業かもしれないけれど、情報収集して少しでもそれを伝えていくお手伝いができたらとやり方などを模索中。

 

読んで感想を書くのはだれにでもできるけれど、どんなに些細なことでも作る時の気持ちというのは制作者にしかわからないもの。それを埋もれさせてしまうのはもったいないなぁと強く思ったのでした。

 

そしてやっぱり、自分で足を運ぶというのは大事だと改めて思った。

こういうイベントや好きなもの、アンテナにひっかかるものにどんどんつっこんでゆくことは、自分の幅をどんどん広げてくれるし、考えさせられることも多い。

共通の趣味を持った人たちとも出会える。

行って本当によかったイベントでした。

現在、製作中とのことのキプリング『少年キム』も本当に楽しみです。

 

最後に、はじめて降り立ったけど赤羽!うどんのすみたさんと青猫書房さんを再訪すべくまた行く!!ていうかもう行きたい。毎日行きたい。通いたい。

気がついたらわたしもすっかり恋におちていたのでした。

 

 

 

 

 

『ストーナー』ジョン・ウィリアムズとイベント「ことばの魔術師 翻訳家 東江一紀の世界」

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6月13日(土)つまりそれは昨日のはなしですけれども。
楽しみにしていたイベントにいってきた。
半年以上前から、翻訳家、東江一紀(あがりえ かずき)さんの門下生さんたちと、同じく翻訳家の越前敏弥さんが丹念に準備していた「ことばの魔術師 翻訳家 東江一紀の世界」フェアのトークイベントだ。
この6月で一周忌になるという東江さんの追悼フェアをやりたいというお話は、前々から聞いていて、書店員だったときからすごく楽しみにしていたフェアだった。
 
さっそくまずは往来堂さんで、フェアの様子を拝見。
店頭一番目立つ入り口の棚で展開されていて、点数は少ないながらも(残念ながら東江さん訳書は絶版も多いため)、先日”日本翻訳大賞 読者賞”を受賞した『ストーナー』をはじめ、ドン・ウィンズロウなど代表作が並んでいる。それぞれにPOPもついていてどれも手にとりたくなってしまった。
 
往来堂さんは本当にいろんな読書家たちが、こんな店が近所にあったら、、、、となげくのがよくわかる。おもしろい仕掛け棚があちこちにあり、地域に根ざした本はすごく充実していて、あってほしい本はちゃんとあり、なおかつ新しい発見もできるような棚作りだと思った。”はじめての海外文学フェア”もここちらのお店で展開していただいていたので、やっぱり展開中に一度おじゃましたかったーっと改めて思う。あまりゆっくり見る時間がなかったのが残念。またぜひ行きたいなぁ。
 
その往来堂さんで、空犬さんとばったり会って、イベントまでご一緒することに。
はじめての海外文学フェアトークイベント以来だったので、とてもうれしい再会でした。
会場は根津駅近くにある”ふれあい館”。公民館のようなところだそう。
そしてなんと今日のイベント、定員150名満員なのだそうだ。
改めてその偉大さを思う。
イベントは、これからも大阪などで続いてゆくので詳しい内容についてはふれないけれど、90分があっという間にすぎた。普段は聞くことのできない翻訳についての話や、東江さん独自の考え方などにもふれることが出来て、大変おもしろかった。配られた小冊子も読み応えたっぷりで、合わせて読めば、より深く知ることができてとてもよかった。終わってから、紹介された本全部読みたくなってしまい、こまったこまった。
 
しかし翻訳という仕事は、本当になんて奥が深いのだろうか。
なんというか知の深淵に降りていく仕事というか。どこまで降りられて、そしてそれをいかに悟られないか、そこが非常に大切な仕事なのではないかと思った。かっこえー。
いやーわたし全然そんな知識はないけれど、人生をもう一度やり直せるなら、今度は翻訳家を目指してみたい!そんなことを無謀にも思ってしまうほど、興味をそそられました。
 
さて、そんな東江さんが死の直前まで訳し、遺作となったジョン・ウィリアムズの『ストーナー』を読んでみた。
原書はいまから50年前にアメリカで刊行され、それからずっとほぼ忘れ去られていた。でも2006年に復刊されたおりにフランスで再評価され、世界に広がることとなったのだそうだ。
 
”完璧に美しい小説”
この帯の文言はもうこれ以上ないほど、この小説を表していると思う。
内容を記してしまえば、ひとりの男が文学に魅せられ教師になるというただそれだけの物語。でも、その文章は読んでみると、わたしたちはなんて貴重で大切な時をすごしているんだろうと、はっとさせられる愛に満ちている。
一生を生きるということは、これほどまでに大切な時間の積み重ねなんだなぁ。そういうことが、たんたんと綴られる文章の中に驚くほど強く感じられた。
右手の細い指に一本の煙草、深くひと吸いし、細い煙を吐き出す、、、そんなひとつの動作がこれでもかというほど丁寧に丁寧に書かれる。読むとなぜだかその動作が、とてつもなく愛おしく感じてしまい、さほど幸福なシーンでもないのに、幸せを感じてしまうという不思議な現象が、読んでいるあいだ何度も何度も訪れた。
 
こんな読書体験今まであっただろうか。
 
もし、この本に昨年中に出会っていたら、間違いなく私的ベストはひっくり返ってたなぁ、、、。すばらしかった。
そして、もうこの翻訳以外はありえないという気がする。
これほどすばらしい仕事を最後に遺してくださった、東江一紀さんに心からの敬意を表します。知るのが遅かったけれど、でも出会えてよかった。本当にありがとうございました!
 
他の訳書もどんどん読んでみようと改めて思いました。
そして、この後出るものもあるかも、、、とのことなので、わくわく心待ちにしたいと思います。